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健康空間いずみが考えていること

山村描き下ろし小説(PDF)

 2011年の秋に

お客さんとの会話の中から

闘病生活の経験からステキな

家族の在り方を聴きまして

「ソレ闘病記にしたほうがいい」

と言いかけたのですが

本人の重荷になっては

いけないと思いとどまりました

 

では、いっそのこと

【自分で話を拡げてみよう】

ということで

小説を書いてみました

完全処女作

 

稚拙な文章かも知れませんが

サラッと読めますので

興味があれば覗いてください

 

 

私が「整体」を生業としているのはなぜだろうか?

弥生台の地で【健康空間いずみ】をオープンしてから、多くの方に愛していただき

10年が経過した時に改めて考えてみました。

 

まだ、「確定された答え」はなく、もしかしたら生涯にわたり考えていくものかもしれませんが、

今現在、私の考えていることをココに記しておきます。

 

 

私が「整体」を生業としているのは

私の施術に感動する人がいるから。

それは、とりもなおさず「私を必要として下さり」「無くてはならない存在」として

生活の一部に【健康空間いずみ】が存在していることにほかなりません。

 

私が「整体」を生業としているのは

職人の世界の面白さを知ってしまったから。

今まで在籍していたスタッフも含め、

科学的にも解明されていない部分も多いカラダを研究することの愉しさを

「技術を伝達」することを通じて、私が最も学ばせていただき今日があります。

 

私が「整体」を生業としているのは

お客さん商売って、やはり愉しいから。

反応を肌で感じることのできる「お客さん商売」は毎日が真剣勝負。

高級設備があるわけでも、教育されました!といった対応マニュアルがあるわけでもありません。

しかし、常に「心のマニュアル」を掲げて、あたたかく「なんかいいよね」をお届けします。

 

 

 

 

以下は私の研修時代を振り返りつつ、今の私を創り上げたきっかけを紹介します。

 

 

開店から10年が経過してもブレることのない思いが「目の前のお客さんに集中する」こと。

つまり、全力で施術にあたることです。このスタンスを崩すことなく続けてきたきっかけを

与えてくれた方を、私の修業時代の話も含めて紹介したいと思います。

          

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私の通った整体専門学校では、最終期の半年、自ら選んだ整体院にインターンとして

研修します。私が選んだのは、学校付属の整体院です。        

当時は技術者二人サポート学生数人の運営でした。その技術者のひとりが退職するので

私の加入は「スタッフ確保」の意味で安心したそうです。しかし私は安心していられません、

なにせインターンで加入後すぐに、その整体院のツートップとして機能しなくてはいけません。

         

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この整体院では患者さんが前後で重なると、

施術の前半はサポート隊がカラダの【ほぐし】を行い(通称ほぐさー)

施術の後半で技術者が【施術】を行うスタイルでした。

まず私がしたことは、可能な限り、すべての人に「ほぐさー」として入らせていただき、

顔と名前を覚えました。かなり集中していたのでしょう、短期間のうちに、顔と名前はもちろん、

お客さん同士のつながりや趣味、おおよその住所もインプットしていました。

         

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いざ「ほぐさー」からツートップとして施術側に入いった時は大変でした。

学校付属の整体院ですから、学校本隊からは「売上を上げろ」と言われ続けます。

しかし、整体院に来る新規の患者さんは、当時の院長先生の分まで、半ば無理やり私が

担当していたため、全体の数字が悪くなくても、売上を気にしなくてはならない院長からは

「こんなんでどうするんだ」と怒鳴られ続けました。

          

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そんなころ、私と同期の学生たちがインターンとして加入してきました。

彼らが「のほほ~ん」と練習や見学する横で、私は施術して売上を気にして整体院の

事務のすべてをこなしつつ、インターン生とともに「打込み」といわれる特訓をして

なぜか同期の連中に技術指導をして、院長の説教はひとりで受けてきました。

この時は自分の時間なんてものは、ほぼ皆無。

ほんの少しの時間があれば整体技術の本を読み、誰かが整体技術の話をすれば、私なりに

整理をして、すぐお客さんに実践。そして隣で施術する院長の技術を盗み見ていました。

         

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そんな濃密な時間を過ごしていたら、院長からも信頼をいただきました。

その当時、すべての患者さんが、私は学生だったことを知らなかったでしょうし、

自分も学生であることは忘れていましたが、半年のインターン期間が終了しました。

そして院長がひと言「オレ、開業するからね」と卒業後3ヶ月ですべてを任されました。

私も院長も納得のバトンリレーでしたが、学校本隊としては放ってはおけない由々しき事態。

全国に30件ほどある整体院のなかから中堅の先生がやってきました。

私がエースとして、その整体院を切り盛りする姿を見て安心されたようで、その中堅先生は

学校の校長としての業務をメインにしまして、私に整体院の全権を託してくださいました。

         

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その整体院で、私の最後の出勤日のことです。

年に1、2回の頻度で来院するお客さん。私も一度しか対応したことがない男性です。

「ずいぶん肩のコリがひどい」と話しかけると、「いま北海道から飛んできたところなんだ」

とのことでした。「仕事に区切りをつけて戻ってきたのですね」と聴くと、

「いや、先生が今日で最後だというから来たんだ。来週、残りを片付けに行くよ」との返事。

         

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この時の衝撃は言葉になりません

たった一度だけ施術させていただいた患者さんが、わざわざ北海道から「仕事を中断」して

「飛行機で駆けつける」なんて。「私は愛されていたんだな」と感じました。

同時に、たとえ一度きりのお客さんであっても、気を抜くことが出来ないことを、

また、整体を「一生の仕事」とするにふさわしいことを教えていただきました。

今思えば、素晴らしいお師匠さんでもあります。

 

         

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毎週楽しみにしていただく方、通りすがりにプラッと立ち寄った方、何日も迷い続けてから、

ある日に思い切って受けにくる方。

そのすべての方へ、『同じように寄り添い』対応し、私の『今、持てるもののすべて』を

捧げています。たとえそれが家族や知人であっても同じです。料金はきっちりいただきますし、

なぁなぁに施術することはありません。これからもこのスタンスは変わりません

 

 

 

 

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